母さんが手袋を編むと歌になる
先日今年末に退職を控えた片山さんと飲んだ。そのときに彼が言ったのがタイトルの言葉。
女性の社会進出が積極的になった今、厳しい中でもがんばっている女性の活躍を目にすることも多く、本当にすばらしいと思う。そんな中で、私もしばらくは楽しく働いてきて、自分と社会のつながりや将来について考える機会も得られた。今、子供はいないし、これからのこともわからない。諸事情で家にいるけれど、いつかはquantum leap を目指してまた社会に出たい。片山さんは、「多少すれ違いになっても、奥さんが働くことには賛成や。でも子供がいる場合は違うんや。母親の子供に対する影響ははかりしれないないんや。母親が手袋を編むとそれが歌になるんやで。その毛糸買ったのおれやぁと思ってもね。」確かに、森進一の「おふくろさん」は大ヒットしたし、合唱曲でも母親の歌を歌ったことがある。
この年になってまだ社会進出を目指すのはなかなか難しいことは理解している。それでも遅すぎるということはなくて、いつでも出たいときに出たいと思う。でも子供に限らず、家族のことを考えると自分の好きなようにというわけにはいかないのだろうな。
亡父が定年を迎えた日、高校生だった私は定年の重みを全然理解できず、会社勤めの経験のない母もいつもと同じように父の帰宅を迎えた。勤め先では華々しく(!?)送り出されたらしく、その温度差に父はずいぶんと寂しがった。今の私にはその気持ちがよくわかる。片山さんが定年を迎えたとき、労をねぎらわせてもらいたいな。彼は大学卒業後からずっと同じ会社で勤め上げた終身雇用まっとう組。これからこういう人も少なくなるだろう。
時代の変化とともに、手作りの手袋の持つ意味も変わるのだろうか…。
誰が言ったか忘れたけど、「母が亡くなったらその後3年寂しい。父が亡くなったら3年たってから寂しくなる」。7年たった今も寂しいと思うことはよくある。大きな存在だったことは確かだ。手袋を編まなくても、父は偉大なのだ。でも歌にはならない。
